誰かがわたしのスイッチの制御をしている
この時期だからか列車内には家族連れが多いし、私の斜め向かいにはずっと口をくちゅくちゅ言わせてるご年配の方がいる。キスでもしたいのか?はやぶさに比べてやまびこを利用する人は全体的に頭が弱い人が多い気がする。うるさいし。
まあそんなこんなで新幹線内ですが、社会人になって旅行に行こうとすると、前日までガッツリ仕事をして、翌日、あるいはその日の深夜のフライトで旅立つ。
旅行に向けて楽しみな気持ちが少しずつ積もっていく大学の頃と違って、指一つでぶつりと切り替えられるテレビのチャンネルのように、唐突であり、情緒がない。もちろん楽しいことを期待して旅行に行くわけだけど、旅行前後も浮かれる気持ちには決してならないのだ。いや浮かれる時間と余裕が用意されていないのだとも思う。
子どもの頃過ごしたような、毎日プールに通いつめて、ポッキンアイスを山ほど食べて、でも昼飯のそうめんは別腹で、畳に寝そべり扇風機を独占して、縁側から犬を、時には子犬を見守りながら線香花火の行く末に一喜一憂したあの頃の気持ちを、感覚を思い出したい。
小雨がちらつく曇り空の下、わたしの夏休みが始まる。
白い魚は目を瞑りながら思案する
前職のこと思い出すと同時に、高校のことを思い出すことが最近多い。まあ昨日のクラリネットもそうだけど、多分この2つが私の人生の中で強烈な意味を持ってるからだと思う。よくも悪くも。
高校最後、6月の球技大会以降、昼休みは今まで大富豪ばっかりしてた人間が、5分で教室でぼっち飯、誰もいない廊下で5分で歯磨き、残りの30分は視聴覚室で自習してたこととか。今考えると、どんなメンタルしてたんだよって思う。その時はいかに勉強時間を確保することしか考えてなかった。
その時大富豪をしてた子たちとは非常に仲よかったのに今は誰1人連絡先を知らないし、今どうしてるかも分からない。友人関係を手放すことに躊躇いはなかった。
それでも、皆がまだ友人と談笑をしながらご飯を食べているのにも関わらず、誰かに急かされるように1人歯を磨く廊下を、誰か先生が通ると怖かった。顔を背けた。教室には、かつて大富豪を毎日一緒にやった仲間が、私抜きでいつも通り過ごしている、そんな空間に身を投じることに慣れていたはずなのに。
終わりよければ何とやらとは言うけど、終わりがそんなだから、高校最後の離任式も出ずに家でpixiv見てたくらいのクズなので、高校の時の記憶は意図的に消している。同期と高校の話になって、まともに自分の記憶を自分の言葉で紡げないのがひどく虚しかった。
このままあの人ともこの人とも、一生会うことはないのかなーと思うと少し悲しい気もする。でもそれもベッドの上でうつ伏せになりながら思案するだけ。今日は眠たいからあまり思考が捗らない。おやすみ。
もう私は誰かに教わることがないだろうと直感して
わたしこう見えてクソメンタリストもとい悲劇の姫気質だから、さっきクラリネット教室の体験で、アンブシュア(口の構え方)を何度訂正されても直らなかった時に、あるべき形がさっぱり浮かばなくて泣きそうになんかなってない。そんな自分に悲しくなって、四捨五入したら30なのに泣いてなんかない。
前の職を頻繁に引きずってると、元カレかよって鼻で笑われそうなんですが、人の教え方をかなり厳しく見るようになった。教え方、伝え方、そんなのはクラリネット教室じゃなくても日常生活、特に仕事においていくらでもあるもんで、そんな自分は嫌いになれないけど損しているなって思う。
教わってそれでも上達しなかった、って怖くないですか。限界が見えなくて、でも見えちゃうんだよ。アンブシュアを直せばもっともっと上達するよ、って先生の言葉が怖かった。子供の頃はそれを信じて何も考えずにひたすら取り組んでた。
大人になるって嫌だね。人間としての自分の底を、本人の意思とは無関係に叩きつけられている気がする。
他人に指導する一方で、自分で能動的に、積極的に勉強しなくなったのは、できなくなったのはいつだろうか。中学生から目を背けるように生きる癖はいつ直るのだろうか。こうやって関わったものが、大切だったものが、少しずつ離れていって、離していって、平気になるのはいつだろうか。
こうやって今日も私はクラリネットの思い出に傷を付けた。私は今後もクラリネットを習うことはないだろう。
多分。多分ね。
いいから旅行の話をしよう
突然ですが今度の金曜日からロシアに行きます。
有給休暇を使い、4泊5日という実質夏季休暇でしかも8月というピークシーズンに行くのは、出発1月前なのにチケットが109810円で取れたから。決してYOIに釣られたせいではありません。YOI面白かったけど。
まあ初外国は14歳の時だけど、19歳の頃からあっちこっち外国に飛び回ってるのに、未だに家族に対して海外旅行に行くって言うの言いづらすぎる。しかも年々マイナーというか行きづらい国だから余計に。ロシアの件はまだ言ってません。悪いことはしてないはずなんだけどなあ、罪悪感でいつも苦しんでるんだよ。2パーセントくらい。
ってなわけで、仕事柄知識を身につけているのもあって、旅行の考えが捗る捗る。毎日仕事から帰ってベッドでごろごろしながら妄想旅行してます。複数のアプリで航空券比較したり、良さそうなホテル見たり、地図見ながら現地情報探したり。改めて文章にしてみるとちょっと気持ち悪いね。
そんな妄想の甲斐あって決定された、私のこれからの旅行のスケジュールを発表します。
2017年
8月 ロシア(モスクワとサンクトペテルブルク)
2018年
1月 香港とマカオ
7月 メキシコ(グアナファトとメキシコシティとカンクン) ※予定
9月 函館 ※予定
予定って書いてるのは、ガイドブックも買ってないし、決心もしてない(行けたらいいな〜みたいな感じ)、仕事の予定も分からないから予定ってことです。部署が異動になったら休みを取れなくなるどころか、毎日最低4時間残業という事態になるんやで……………………まじでしんどい……………………
それにしても一年よりも先の予定まで決まってるのは我ながら本当引く。ドMかよ。あ、全部ひとり旅です。誰か付いてきたい人います?(笑)
とか言いつつ、メキシコから2年以内にハワイ(ESTAの関係)、10日休みが取れたらニュージーランドとオーストラリア行くとか日程明確じゃないけどそういうのも決めてます。ってか10日も休み取れるのなんて退職時ぐらいだわ。
オーストラリアとニュージーランドってほんと航空券高いんですよね。特にエアーズロックの辺りが高い。ぼったくりレベルで高い。日本の新幹線とか成田空港のスカイライナーとかそういうレベルじゃないよ。まとめてじゃないとオセアニアは行きたくないよ。
それにしてもスカイライナーはいつ乗っても大体スカスカだよね。採算取れてるのか毎回利用するたび気になる。
ということだから婚活とかまじでしてる暇ない。お金飛んでくのほんとつらい。旅行になら湯水の如く使えるのに何でだろうね。
私は昔からハマったもの、好きなものがには一切お金で遠慮しない(勿論破産しない程度に)という性質があるから、これはこれで幸せなのかもね。
でも流石に、ついこの間3月にヨーロッパ周遊ツアーしたのに旅行に行き過ぎだとは思う。会社の人にも言えない。
大学の学部的に、ワーホリ留学ピースボート世界一周どんとこいみたいなところだったから、海外に行くのってハードルが低くて。自分としてはちょっと東京まで行ってくるね、って言うのとあまり気持ちは変わらないんだけどね。
ここからあと2年くらいである程度行きたいところは行き終えてしまうのだけれど、その辺のことはあまり考えないようにしてる。もしかしたらまたインド行くかもしれないし、タイとかシンガポールとかベタな東南アジアに興味が湧くかもしれない。エジプトとか情勢良くなるかもしれない。
それでもやっぱり不安なのは、8月ロシアでとうとう30ヶ国目になるから、すごい!って賞賛されるよりそろそろ距離を置かれていくような気がすること。
もっと旅行の話をオープンにしたい。旅行好きな友人とか、職場の人とかとさ。ここ行ってみたい〜ってわちゃわちゃしたりとか、お互い行った共通の国の出来事の共有とかさ。好きな30ヶ国行ってるんですよ〜とか言うと、えっ!?って一線引かれるのにちょっと待った!って言いたくなる。逆裁みたいに。
それでも旅行が好きだから、どうしてもそれを貫きたいから、今後も引かれたり、話のレベルが合わなかったりするのはしょうがないよね。私に出来るのはあとからリボの誘惑に負けないように、破産しないようなお仕事頑張るだけだよ。
また明日から社畜頑張る。
外的要因に全ての責任を擦りつけるのは間違っている
ぶっちゃけると生理中で精神が不安定なので、ブログを始めます。
中学生の頃ブログをやってたから、もう12年ぶりとかそのくらいだよね。あのブログ消したかどうかが非常に怪しいぞ。
一過性のもののような気がするけど、まあやれるだけやります。
Twitterと違ってプライベートだだ漏れなので、苦手な方はご注意を。
転職して約4ヶ月、最近ますます前職のことを考えています。塾教師でした。まあ体調とかストレスとか人間関係で辞めたわけなんですが、一番大きかったのは、一緒に仕事をした人との相性です。
その人がどんな人で何があったかは割愛しますが、去年の12月頃から私は仕事に手を抜き始めました。
もちろん生徒への指導は手を抜いていません。が、その組んでいる人への態度や、提出物のチェック、業務に関わるコミュニケーションなど、支障が出ない程度で可能な限り手を抜きました。
苦しかったから手を抜きました。当時は本当に苦しかった。そうしないと心と体の均衡が取れなかった。
でも今は手を抜いたことが苦しい。
あんなに好きだった教育を物理的にはやりきったとはいえ志半ばで途中で放り投げたこと、小狡い考えを持って手を抜いた期間があったことが、どうしても、どうしても頭の中から消えなくて苦しいのです。
転職自体に後悔はしてません。
たまに心配されるほど残業するけどたかだか2ヶ月に3回前後、2時間程度だし、いつもは定時から40分ぐらいで帰ってます。遅くとも2時間前に出社して、定時1時間半後に職場を出たあの頃よりはマシなんじゃないでしょうか。
今は趣味を仕事にしています。趣味を仕事に出来るのかというコンセプトで仕事を始めて、1年目にしてはそこそこ大きな仕事を抱えてしかも今現在行き詰まっていて、昨日は終業後1時間も先輩を質問責めにしました。先輩すみません。
でもそんな状況だからこそ、慄いてるからこそ思うのです。
いつの日か、教育に絶望したように、今の仕事も趣味も、自分から遠ざけたくなるものになってしまうのかと。
あんまり覚悟をしないでこの仕事を始めたツケですかね。
仕事に真摯であろうとすればするほど、それが裏切られたとき、自分にも分からないタイミングで、自分の好きなものが自分から遠くなっていく。不安に侵されて何もかも分からない状態で奇行はしたくないものです。
それでも仕事はちゃんとしますよ。社会人として当たり前です。
でも出来ることなら金髪碧眼の石油王とうみの杜水族館で合コンしたい。あーあ仙台に石油王落ちてないかなー。