苦しい人間にはなりたくない

個人情報は晒しませんが、世間体は気にしません。

教科書の文字に浮かぶ歴史をなぞること、沈むこと

エジプトに行ってきました。通常エジプト旅行には8日間ほどが妥当なところ、今回の行程は6日間で、首都のカイロのみならず、北エジプトと南エジプトの両方を周る相変わらずの弾丸旅行となりました。

 

行く前が年末年始だったことと、仕事に忙殺されていたおかげで、出発前にエジプトにゆっくり思いを馳せることは叶わなかったのですが、エジプトってこうだろうと考えるところがありました。

 

 

ピラミッド。

スフィンクス

怖そうな国。治安は大丈夫か。

エジプトは世界の中でも"ウザい人"が多いとのこと。

高校の頃、世界史の教科書で色々見たところ。

象形文字

アブシンベル神殿。

 

 

 

今回、いい意味でも悪い意味でも、衝撃的な出会いというものはなくて、エジプトが確かに今なおそこにあるし、そこにあったということがじんわりと分かった機会でした。

 

 

だって、これ数百年前の話ではなく、もう紀元前何世紀、何千年前とかの話から始まるんですよ。私も色々行ってきたけど、そういう単位で物を見る、感じる場所というのは中々なかった。それこそ中学の時に四大文明とか習ったけど、その辺りですよね。なお中国は北京と上海しか行ってないので、なかなか歴史の深さまで感じることは出来ませんでした。

 

そういうような、教科書で勉強して紙面に文字となって乗っかっているだけの世界を実際に見る所まで来たのは、来られるところまで来たんだな、今の私はそういう存在が手に入りそうな所まで来ることが出来るんだな、と感慨にふける数日間でした。

 

 

また、先に挙げたとおり、エジプトは非常にうるさい国かと思っていましたが、深海のように奥地に辿ろうとすればするほど、深いところでは非常に静かな所で、エジプトに吹く風は嫌なものを背負っている訳ではなく、ただあるがままに吹く風で、嫌な先入観がこびり付いていたのは私だと分かって少し反省しました。

 

鮮やかに残る象形文字を見て、目の前にそびえる神殿やピラミッドを見て、異世界のように感じる事もあったけど、きっと古代エジプト人も同じ景色を見てたんだろうな、とすっと心に落ちてきたんです。普段、私たちが見ている物と違う物を見るからこそ観光なんでしょうけど、そういう意味では観光であったのですが、なんというか今回は人間のルーツを辿る機会だったのではないかと。だからこそ自然に腑に落ちてきてじんわりした気持ちが芽生えてきたのではないかと。そう思います。

 

 

 

ほか小ネタとしては、ちょうどツアーの中日に乗り継ぎ先のドバイで水害があり大遅延が起きてたけど、日本に帰るころには元どおりになってたり、エジプトポンドに両替せずとも何とかやっていけたし、苦手な値段交渉も何とか出来てお土産を買うことが出来たり、エジプト食は量が多かったけどどれも美味しくて限界一歩手前まで食べたりした等ということがありました。

 

 

 

なんか言いたいことを箇条書きで書いていったらまとまりがつかなくなってしまいましたが…

きっとエジプトにこのタイミングで行ったのは意味があることだと思うし、また1つ心にたからものとして置いていける思い出が増えて、それだけで私は、私という人間がより力強くなれるって知ってるし、未来永劫、そう実感することができると今一度知ることができたのだ。

 

 

 

もしいつか私に家族ができて、その子供が世界史を学んだらエジプトに連れてきてあげたい。いきなり教科書の世界に放り出されるのは、それこそ教科書で殴られるような衝撃かもしれないけど、静かに燃える炎を感じ取れるような人間になって欲しいし、私もいつまでもそういう感性を持っていたいなと思います。

 

 

 

結論としては、高校手前ぐらいでヘタリアを知って世界史Bを習って置いて良かった。現場からは以上です。

会社に行きたくないと足が震えるので記事を書きます(タイトル)

しかし今いるのはコタツの中。くだわらです。

 

ついったに吐き出しているものは氷山の一角なのですが、長いスパンでいうと3か月前から繫忙期ということを加味しても体感として忙しくなり(定時退社は夢の夢の夢の)、2か月前から自分の仕事がコントロールできなくなりはじめ、1か月前には人格的におかしくなって職場の人とうまくいかず、ここ2週間くらいは毎日トラブル続きで心臓が持たず、この1週間は昼休憩なし13時間勤務生活でした。

 

この1週間はマジでつらくて、頭痛・腹痛・疲労・倦怠感は当たり前のほか、細かい業務ミスや手の震え、感情の起伏が激しい、人に優しくできない等があり、木曜ぐらいは手でおさえないといけないくらい心臓が痛くなり、死の恐怖を感じて、職場にかかわる人全員死ねばいいと本気で思っていました。この日は、退勤するときに1人職場の更衣室で近年稀にみる、トトロのメイちゃんみたいな泣き方をした夜でした。過呼吸が少しぶり返した。

 

土曜(昨日)は職場で芋煮会(東北民以外にはなんと説明したらよいのですかね・・・なんかおでかけして食事する行事です)があったんですけど、こちらは急遽キャンセルして家にいたんですが、ベッドに横たわったままカーテンを開けて、青空を見て「ああ綺麗だなあいい天気だ」と思って寝返りを打った瞬間、「もう死んでもいいかもしれない」と思いました。前々日までは必死に「死にたくない。死が怖い。職場にかかわる人全員死ねばそれで解決する」と思っていたのにも関わらず、今日は職場の人と会わずに済むから気持ちが晴れるかなと思ったのですが、なんだかんだで心療内科に行き、おくすりをもらいました。

 

3年前にも一度、それらしいおくすりをもらったことがあるのですが、これが強いやつであまり合わず、服用をすぐやめてしまったのですが、今回のやつは弱めということで、服用後3時間後ぐらいまでは動悸や頭痛、どこかに逃げ出したい衝動が強いのですが、それ以降はちょっと不気味なほどに思考が落ち着く、というか難しいことを何も考えられなくなるというイメージです。

 

 

今回記事を立ち上げたのは、9時間後には会社にいなければならないのに、明日の仕事はちゃんと終わるのか(今パッと思いつくだけでも20ぐらいの仕事がある)、そもそも電車通勤というものを乗り越えられるか、不安が強くて全然眠れる気配がなく、土日の間ずっとやるかやらないか迷っていた今回の件の備忘録的なものを簡単に作ろうかと思った次第です。プライバシー的なこと以外、誰にも配慮していないので、読みたい方は自己責任でどうぞ。

 

・取引先

MR.A⇒どんな時でも電話をしてくるマン。逆にこっちが電話をして説明しても、混乱して話が理解できていないので、こっちは時間をかけてわかりやすくメールを打っても、絶対に電話をよこしてくるマン。あやうく大事故になるトラブルが起きかけたのですが、電話でやり取りしている以上、言った言わない論になるのが怖くて、メールかFAXで返信もらえないですか?と提案しても、いや簡単なことだから電話でいいじゃん、電話で連絡とることの何が問題かわからない、と言ってくるマン。じゃあその話しぶりさぞ理路整然なんだろうな?わかりやすいんだろうな?と思いきや、顧客の要望と自分の主観を織り交ぜて話すので、で、結論は?になるまで万里の長城

 

MS.B⇒絶対電話してくるウーマン。聞きたいことがある!ということで複数回電話をしてくるが、書類をちゃんと読めば自分でわかることが70%のため、時間レイプマンだと私は思っている。なお、定時を1時間以上すぎても、職場の裏電に平気な顔で電話をしてくるため、正気か疑っている。なおその要件は全然急ぎではない。内部の取引先ではないため、強く言えない。

 

MS.C⇒入社当時から、私の苗字を間違って覚えている。正しく言うと、苗字1文字めの部首を間違えている。(私の本名を知っている人は想像がつくと思う。まあ間違いやすいけど)本来、弊社はアナログな会社なので、FAXという時代遅れなものをまだ使っているだが、自分に余裕があるときは紙に書いてFAX、余裕がないとき、自分の時間を短縮したいときはメールを送ってくるため、どちらに合わせたらよいのかわからない。しかし私はこの人にたいして以前大きなミスをしてしまったことがあるので、その負い目があり、強く言えない。

 

MS.D⇒私の担当地区で小さい支店ながらも、1人で細かい手配を切り盛りしており、その点は本当に凄いと思っている。しかし最近忙しすぎるのか、いろんなトラブルがこちらに流れてくるし、私はその愚痴も聞かなければならない。ちなみにベテランである。トラブルが起きた際の口癖は、「困っちゃう~」「何とかお願い!」である。何とかお願いしてなることなら、なんとかするし、ならないこともある。でも本当に大変そうなので、お役所仕事みたいな冷たい対応はとらず、基本的には何とかしてあげたい。多忙ということもあり、私はこの人に忖度してあまり電話をかけない(電話しなければならないときは、FAXをして、内容が確認できたころに時間をおいて電話をする)のだが、この人からは最近定時を1時間半すぎても普通に電話がくる。ちなみにこの人は普段は定時に帰る人である。

 

職場のみなさんの話⇒全体的に繁忙期なので皆さん忙しい。とはいえ、定時少し過ぎで帰る人、PCが勝手に切れる20時まで粘る人、20時すぎてもPCがいらない仕事をする人(私)と担当地区によってその状況はバラバラである。正直なところ、個人プレーの要素がかなり大きい。私の業務が忙しいとき、同期と後輩の2人は手伝ってくれるが、そのほかの人は声すらかけてこない。助けてほしいと声を掛けたら多分無視されることはないと思うんだけど、少し嫌そうな態度をとられる。ちなみに手伝ってくれる2人にも業務をお願いすると、最終的には手伝った分もうこれでいいですか?いいですよね?みたいな感じになるので、ありがたいと思う反面、手を差し伸べてくれた人間の施しの不十分さを憎んでしまうという心理になってしまう。なので、最近私は「何分くらいなら手伝ってくれる?」と聞くようにして、それに見合う量を渡して、それで手を打つようにしている。というのも、ただ「手が空いているから手伝う」と言ってくれた人に複数仕事をお願いしたら、しんどそうな顔をされたからだ。きっとみんな早く退社したい。だから相手が最後まで手伝ってくれるとは限らないため、線を引いて相手も逃げやすいように、私もあきらめがつくようにしている。配慮するのは疲れる。

そのほかの人については、基本どうでもよい。私の代わりに電話番を頑張ってほしい。でもさ、声をかけないと助けてくれないのがチームなのかな?それとも声をかけない私が悪いのかな?

なお、みな忙しいとは言いつつ休憩はしっかりとっている。なんならそれに加えてタバコ休憩に行く人もいる。私は割とブラック思考なので、休憩をしっかりとっているくせに、残業してブツクサ言ってるんじゃねえと思っている。なら、休憩なしで働いて私が早く帰ろうとする際には恨みがましい目を向けないでほしいと思う。ま、今後そんな時期がくるかはわからないけど。

 

電話の話⇒まず前提として電話が多すぎる人は仕事ができない人間だと思っている。私は圧倒的に電話<メールだし、メールの着信確認もアホらしいと思っている。電話は人の時間を勝手に奪うレイプだという意見を最近見つけて、確かにその通りだなと思った。特に今月、圧倒的に私にかかってくる電話が多すぎる。それは私の仕事が不十分だから突っ込みが入るのかもしれないし、トラブルがあるとどうにもメールのやり取りだけで済まないからそうなるのかもしれないし、メールの返信早くしろ(メールを送ってから1時間も経ってないのに)という電話もある。大体仕事で忙しかったり確認作業で集中力がいる時は電話はとらないようにしているため、私以外の人が電話をとってつないでくれるのだが、そういうとき私はほかの人の電話に出ているため、その時かかってきた電話は折り返しの約束が結ばれる。私からするとそんなん知ったこっちゃない。要件もわからん、急ぎかもわからん、あっちの都合でかけてきているのに、こっちに折り返しをさせて、負担をかけさせるとは何事だ、と電話に出てくれた人を恨んでしまう。そして大体そういう時折り返しをすると、その間に別の人から電話がかかってきた永遠の負のスパイラルになる。こんなことがあって、離席したりお昼休憩に行ったり、トイレにいくことすら限界まで我慢するようになってしまった。会社に1日いてトイレ行かない日も割とある。

でも電話を取ってくれている人からすれば、私のことが嫌いになるかもしれない。なんでこんな関係のない人の電話をたくさんとって、しかもその人はずっと電話してて折り返しのメモ残したりしなきゃならなくて電話取次に2~3分もかかるなんて、とか思われているかもしれない。くだわら、嫌な顔せずに電話とれよ!お前の電話だろ!わたしには関係ないだろ!とか思われているのかもしれない。

 

隣の部署⇒うちは1フロアに複数の部署が入っているんだけど、隣の部署はもうびっくりするほど毎日定時退社である。退社時間ぴったりになったらPCを閉じてそそくさと出ていくし、日中の業務中は愚痴とか話声がうるさいうえ、4コール以上鳴っている電話にもなかなかでないため、うちの部署で代わりに電話をとったりしている。直接業務で何かかかわりがあるわけじゃないからこそ、余計に鬱陶しい。なんかブラインドとかつけられないかな。

 

後輩の話⇒1年目で私がトレーナーにも関わらず、最近優しく指導できなくて申し訳ないと思う。ピリピリしていたり、煽り口調で話してしまっているのは悪いと思っているけど、私もだんだんこらえきれなくなっているのだ。1回教えたことをすべて網羅できるとも私は到底思っていないのだが、よく考えればわかることを、クイズ番組のようにポンポン考えなしに質問してくるのはやめてほしいと思う。最近してくる質問の多くが、最終的には「あ、そっか!そうだった」で終わっており、全くの未知を教えているわけではないので、何か一つ未知にぶつかったときパニック思考になりやすく、応用の適用だったり広げて考えるということが苦手な子だと思う。わかりやすく言えば最近の若者の傾向だなあとは思うが、こういうタイプは1回例を見せたり方法をしっかり教えるとそのあとは非常にスムーズにいくという特徴がある。とはいえ、質問の仕方がパニックになっているのもあるけど、ほとんどオープン質問で「これの操作方法で質問がしたい。ここまではわかるが、別のどのような点がわからない」のように具体的な分析・把握・説明ができていないため、その一連の流れを私が補助して回答まで丁寧にやるのは私の今の状況だと厳しい。私は質問は絶対に断らないマンなので、無視したりそんなことも分からねーのか!とか言ったりはしないけど、よく考えもまとめもせず、ただ質問してくる人間は嫌いである。塾講師時代だったときからそういう子はバッサリ切っていた。まあ、私が完全マニュアルを作れば、私がいないときでもなんとかなるのだろうと思いつつ、私がマニュアルを作る時間がない。家に持ち帰って作る余裕が平日にはない。休日に作ればよかった。

 

幣部署のトップの話⇒入社ちょっとしてからこの人とは考え方が合わない、助けてほしい、導きがほしいときにその人の中で決定されている結論をGOしようとしているだけだ、と気づいてからこの1年半くらいあまりかかわらないようにしている。いわゆるこんなことも知らねーのか!的な言い方をする人で、最近仕事どうよ?とか聞いてくる割に、それなりに正直に話しても、現状を解決する姿勢が全く見られないため、人事面でこの人に助けを求めるくらいなら、本社の総務課の人事のトップに助けを求める。なお、この人は忙しかったころの上期に「くだわらさんには業務を任せすぎたかもね。ハッハッハッ」と言い放っており、そんな状況をわかりつつ下期も業務継続しているため正気か?と思っている。

 

幣部署のNO.2の話⇒今年異動してきた人で、正直かわいそうだと思う。1年で辞めたものの、前任はみんなから非常に慕われていた人で、そんなやりづらい中、私が起こした数々のトラブルにも対応してもらってありがたいと思っている。しかしみんなには嫌われているし、私もどちらかというと好きではない。というのも、割と私と似たような性格で同族嫌悪的なものを感じるからだ。私とは違い、口が強いので議論にはあまり向かないと思っている。振り返ると4月の時よりだいぶ口ぶりや態度が変わってきたなあと思う。これが良いか悪いかはわからないけど。

 

心療内科の話⇒最初に書いたけど、前にもらったくすりがあまりよくなくて、行きたくないなあと思っていたんだけど、土曜日の朝の気持ちが死にすぎてて、何か行動を起こさねばと思っていきました。先生が私の話を聞いて「んー、よくある事象だね」って言ったの笑った。まあ確かにそうだね。で、そのあと心にまつわるテストを受けたんだけど、その中で、普段の自分に対しての気持ちで「ほかの人と同じくらい幸せになりたいか」という質問があったのだけれど、本当に意味が分からなかった。いや、幸せっていう単語は知っているし、何も考えずに「幸せになりたいか?なりたくないか?」って聞かれたら迷わず「なりたい」って答えるけど、じゃあ自分の気持ち・価値観として「自分が幸せになりたくない、なりたい」ってそんなこと考えないし、持っていない。ましてや、ほかの人と同じくらいに、っていう風に比較して考えることも、何をしているかわからない。そんなみんな頻繁に幸せになりたいかどうか考えるの?ほかの人と比べて自分はどのくらい幸せとかそういう位置ってわかるものなの?っていうかほかの人の幸せってわかるものなの?これは羨望とかそういう話?具体的にはどういうこと?っていうのを10分の1くらいにして担当の女性の方に質問したら、めちゃめちゃ困っていた。申し訳ねえ。でもみなさんそんな考えるようなテーマなのか?確かにおいしいものを食べたときとか、良い天気の下適温の温泉に入ってのんびりして「幸せだ~」とか思うけど、それは瞬間的な話であって恒常的な話ではないんじゃないか?そんな漫画とか童話みたいに「〇〇は一生幸せに暮らしましたとさ、おしまい」とかそれで納得できる時期は過ぎてしまったんだ。大人だから。

 

 

 

そんなこんな書いていたら、6000字をこえていたし、なんなら日付をまたいでしまった。8時間後には制服に着替えて会社のPCを打っています。この文字数ならレポート出せるな。すげえや。

 

木曜くらいがピークで、(仕事以外の)文字は読めない、好きな動画も見れない、乙姫の音すら耳に痛くて煩わしい、生活のことは風呂や着替えの最低限以外はすべて後回し(週末である程度やったのでこれはいったん解決)、という状況だったので、明日からの仕事がどうなるかわからない。持ち帰りの仕事も、常識の範囲で残業してもよいから、最低限休憩して、自分の仕事が把握・管理できればそれだけでよいのに、それすらもうまくいかないのはなんでだろうなあ。1度10月に同じような件で相談して、それがうまくいかなくて、職場で上司の前で号泣する羽目になって各所に謝罪をしたから今度は相談しづらいのかなあ。2回目以降はみんな飽きると思うし、まあ普通なら自分の仕事だけやりたいものですからね。早く帰りたいし。

 

この1週間は悲しんだり、昼ご飯食べず適当な食生活しておなかが毎日痛かったり、感情のUPDOWNが激しくて、取引先と口論になりかけたり、ありがとうとすみませんを言いすぎてもうコミュニケーションをとるのすら嫌になってきたりというのがあったけど、11月も気づかぬうちにあと10日で終わるので意識を保ちたいと思います。

 

 

おわり。

4000年重ねた糸は人となって歴史となって

ハロー、ハロー。

 

私は今万里の長城の頂上にいます。(クソギャグ)

 

 

 

 

こんなクソギャグを言うために頂上まで登ってきたのだ。なんちゃって。

 

アンコールワットと並んで、世界遺産ランキングでは1番ないしは2番にランクインする万里の長城ですが、そこは色取り取りで誰もが絶句するような絶対的に美しい景色がある訳ではないのですが、そこに"在る"だけで意味がある世界遺産でした。

 

きっとこの遺産は、登ることよりも、苦しい中登り続けてふと振り返った時の下りの流線的な景色の方がより綺麗だし、汗が吹き出る中、風を切って上を目指し続けることに意義があると思いました。

 

ガイドと1時間後に待ち合わせで、朝ごはんのカロリーメイト食べながらなのであんまり上手いこと言えないけど、重ねた歴史の中に残ってきて良かったな、と思える遺産でした。

 

 

 

 

まだまだ旅は続く。

令和元年、神様が落としたチャンス

時間があるので久しぶりに書こうと思ったらまた4ヶ月ぶりじゃねーか!!!!!!!!びっくりだわ!!!!!!!!

 

 

 

 

 

メキシコにいます。

 

 

 

私の中でメキシコは、カウボーイ!ギャング!麻薬!ヤバイ!みたいなイメージだったので、女性1人で行くのどうなの?と思ってたのですが、行ってみるといつもと同じでなんてことないですね。メキシコシティの地下鉄も、危ない感じはしなかったです。パリやイタリアの方がよっぽど危険な感じがする。

 

 

メキシコでやりたいことTOP5の海底美術館(MUSA)のシュノーケリングツアーが、悪天候のためキャンセルになったので、今時間つぶしのマックにてこの記事を書いています。悪天候とは言っても、めちゃめちゃ晴れてる。白い雲青い海。でも風が強めかなあと思うので、まあ納得と言えば納得。まあ悲しくはあるけど………………………………

 

 

 

 

パスポートの紛失やスリにも会わず、五体満足で帰ってきている以上、あまり文句は言えないですが、こういうトラブルは多いような気がします。この間のマレーシアでマラッカに寄れなかったのは、4ヶ月以上経ってもまだ根に持ってるので、いつかリベンジをしようと思います。

 

ここまで書いておいてこれはトラブルというか、何か希望していたことが上手くいかなかったケースのようなことではないかと感じてきました。それは、この数年(特に旅行会社に勤務し始めてから)顕著に感じています。

 

 

ひとり旅を始めてもう7年が経ちました。最初何も分からなかった頃から、経験を重ね、知識を得て、悪い意味で言うと初めて出会う新鮮な体験の機会が少しずつ体感として減っているような気がします。社会人で弾丸旅行をしているこっちの事情もあるのですが、旅行前に少し憂鬱になる、旅行中はなかなかゆっくりできる時間もないというのも現状です。

 

 

 

 

 

 

 

色々な理由があって、この会社に居続けるかどうかをこの1年で見極めようと思っています。申請のタイミングもあるから実際はあと7ヶ月ぐらいなんだけど。こういう暮らし方をするにはベストな職、地位なんですが、いつまでも仙台にいるとは限らないので、リミットを意識しながらこの1年は公私ともに過ごすことにしました。奇しくも、新しい年の元年となりました。

 

 

 

 

 

マンネリとは少し違うような、不思議な気分です。とは言え、自分の中でヒットした国や地域はまたいつか訪れたいなと思います。ウズベキスタンシンガポールとか。その一方で、神様が落としたチャンスもあり、もう2度と行かないであろう国も頭の片隅に浮かびます。今いるカンクン とか、ね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほぼ完成しかけの大きなジグソーパズルで、足りないピースを少しずつ埋めていくような旅は、今の自分には少しだけ辛い気がする。それだけ最後に書き記しておきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴールから落ちるようにカウントダウン

2週間経ってようやく落ち着いたので吐き出してみようと思います。12月三連休のマレーシア・カンボジア旅行。

 

 

 

まあ、かなり語弊はあるのですが、一言で言うと「最悪」でした。これは個人の感想なので、マレーシアカンボジアに行きたいって人は、ぜひ行ってみるのをお勧めします。

 

 

 

 

 

 

まずマレーシアから振り返り。

 

マレーシア旅行の何が満足してないかというと、「これやりたい!行きたい!の半分も叶ってない」からだと思います。

 

まずこれはコンディションの話なんだけど、出発午後(仕事中)からどんどん喉の痛みが増し、マレーシアにおいてはのど飴と切ってもきれない生活、食事はほぼ食べられませんでした。パブロンとお友達。私は旅行中に体調を崩すことは滅多にないのですが、ベトナムで歩けないレベルで腹痛がひどくてこれは目的地まで辿り着けないのでは?と思うレベルで辛かった。

 

ちなみに行きの飛行機はLCCエアアジアです。深夜羽田23:45発。ジェットスターに乗ったことあるから違和感はなかったけど、

機内泊で3列の真ん中

食事を頼んだら朝に出てくるかと思いきや離陸後すぐ1時ぐらいに出てくる

午前2時ごろまで消灯せずなかなか寝られない(しかも喉の痛みで起きちゃう)

の三重苦でアイマスクも耳栓も持っていなかったので解決のしようがなかった。次は持って行こう。

 

なんとか着陸し、長蛇の列の入国審査を終えてクアラルンプール市内へ、というところなんですが、クアラルンプール市内交通がほんとに不便すぎて辛かった。

 

ガイドブックには何分間隔で出てるとかまでは書いてないから、バンコクの地下鉄や仙台の地下鉄ぐらいやろ(雑)てな感じで行ったら酷い目に遭いました。

 

有名観光地まで伸びてる列車が朝のピーク時でも1時間に一本とか、そもそも列車のスピード遅すぎて横をマラソンする人に負けるレベルとか、方向乗り間違えたら次の列車来るまで20-30分まで普通に待つとか。

 

7時ごろ空港を出て、最初の目的地に着いたの10時過ぎです。予定では2つ目の目的地に着いてるはずだったのにな。という事で、現地ではタクシーを沢山利用しました。急遽配車アプリをDLしたりなど。値段が安いのが悪くはないですね。あと話しかけてこないとことか。

 

ということでクアラルンプールは想像より動きづらく、またモスク関係を見たんですけど、前回ウズベキスタンで印象強いモスクを沢山見たせいか、どこか物足りなくて、観光に対するインフラ面はまだまだだなと思いました。

 

そして問題だったのが、マラッカ 日帰り。世界史やってる勢としては、名前はよく聞くし、オランダ好きなのでオランダの影響受けたとこみたいなーって思ってたんですよ。まあクアラルンプールに宿撮ってたので日帰りじゃないといけなかったんですが。

しかし、世はクリスマスシーズン。午後にバスターミナルに着いた時点で次のバスが3時間後だったのはしょうがないとして、タクシーで行ったんですね。

 

ちなみにマラッカ へは、クアラルンプールから通常1.5-2時間なのですが、マラッカへはどのくらいかかったと思いますか??

 

14時半にクアラルンプールを出て、マラッカ に着いたのは19時。4時間半。4時間半ずーーーーーーーっとタクシーで移動してました。しんどかった。多少ガソリンスタンドで休憩も挟んだけど、着くかも、着かないかも、と不安や期待を思う分つらかった。しかもその4時間半っていうのも、マラッカ の街入口までしか行けず、マラッカ の街中も大変な渋滞で有名な観光地は何も見てきてないんですよ。つまりマラッカ という街に到着しただけで、見たいものは何も見れず、バスの時間があるためクアラルンプールへトンボ帰りとなりました。そのバスも更に遅延してたうえ、車内でターミネーターが爆音で上映されており、一番前の席だったためなかなか休めなかったこともありましたが、それはもういいです。

 

こういう状況って、旅行をしているとまあそこそこあるんですけど、今回は訪れるタイミングじゃなかったんだろうなあ、と思うことにしてます。でも今回マラッカ は非常に楽しみにしてて、半年前からずっと考えてて、それで今回のクアラルンプールで満足したのが夜のペトロナスツインタワーだけだったんで、私にとってマレーシア旅行は、非常に満足度が低いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

話は変わってカンボジア

到着日、トゥクトゥクに乗りました。トゥクトゥク知らない人に向けて言うと、なんかこう、東南アジアにありそうなリヤカー(?)みたいなやつです。風通し抜群なので風を切って走る感覚が気持ちいい………とのようですが、非常にガタガタ揺れるし、下手したら荷物吹っ飛びそうだし、膝丈スカートだし、最初の数十分は怖かったです。あいふぉんいじれないくらいの揺れです。慣れると景色を気にする余裕が出てきて、帰り際にトゥクトゥク車内からみた夕焼けは綺麗でした。

 

 

 

さて、カンボジアに来た目的と言えば、アンコールワット。結論から言うと、世界遺産に相応しい、間違いなく素晴らしいところです。朝日や日中の観光もものすごい人で、その人気が伺えます。

 

 

 

だけどね、だけど、アンコールワットを訪れて、私は思いました。

個人の感想です。個人の主観なので、これを読む人は気にされないことをお勧めします。

 

 

 

 

 

 

 

 

カンボジアに、未来はない。

そして、カンボジア観光を信奉する、私が働いている会社にも、未来はないのだ、と。

そう思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

カンボジア好きな人ごめんなさい。

多分私がアジア好きじゃない&合ってないのが大部分の理由だと思います。

それでも吐露すべきだと、心の内に留めておくべきではない、と思ったので今記します。

 

 

 

 

 

 

 

 

前者から補足します。

 

非常に人気のアンコールワット。まず、これを読んでいる人は、その入場料はいくらかご存知でしょうか。正解は、1日間37ドル、3日間で62ドルです。今回の私のように2日間観光する人でも、3日パスの62ドルを払わないといけません。

 

まず1つ、シンプルに入場料が高いです。

 

まあそれ自体はしょうがないと思います。国家にもアンコールワットが描かれてるくらいの象徴的なもので、国の重要な収入源だと思いますから。

 

しかし私はガイドから、「ここ数十年、アンコールワットは変わらない姿でいる」という説明を受けた時、ゾッとしました。それは勿論プラスの意味で、不変の時を感じられるスポットであるという説明の一説としてその言葉を言ったのでしょう。つまり下記のようなニュアンスで。

 

 

アンコールワットは、昔から変わらぬ不変の姿を、時間を提供してくれるスポット。その今もなおそびえる姿が人を惹きつける、と。

 

 

 

事実、日本人や昨今どこにでもいる中国人もそうですが、欧米人が非常に多かった気がします。欧米にはない、アジアの中でも悠久的な姿を残し続ける世界遺産で、かつ物価も安く気候も良いカンボジアという国を訪れるのだと。

 

つまりアンコールワットは不変の姿を、過去を売るスポットである。カンボジアは今後数十年、数百年過去を売っていくと。そのスタイルが今後どこまでどう続くかは分かりませんが、そういう意味でカンボジアに未来はないのだと、そう思いました。

 

変化をしない生き物は生き残れない。頭の片隅でそういう言葉も浮かびました。カンボジアの観光の行く末なんて、怖くて考えられないのですが、答え合わせなんて到底出来そうもありません。

 

 

 

 

2つ目の感想に触れます。

私が働いている会社は、旅行会社です。マレーシアはともかく、カンボジアは弊社が強く推してる地域でもあり、一度見たこともないのはどうなのかなとも思い、視察の意味も兼ねて訪ねてみたという機会でもありました。

 

そしてカンボジアに行き、私は先のような感想を持ちました。

 

話は変わりますが、管理職クラスの40-50代の人たちはカンボジアを凄く気に入っています。お勧めしてきます。数十年前から不動の人気スポットだから、というスタンスを崩しません。ですが、昨今の弊社の顧客はカンボジアにあまり食い付きません。私もそれは分かってて、何でだろう?まあ時代も変わればニーズも変わるしな、と軽く捉えていました。40-50代クラスは何故人気がないのか分からず、うんうんと唸っていました。

 

 

けど、今回カンボジアが、アンコールワットが私に与えた影響はあまりに大きくて。過去にしがみ付いているアンコールワットを、カンボジアを信奉するうちの会社も同じように、過去にしがみ付いているのだと。いつまで引きずれるか分からない過去の栄光を頼りにし続けようとしているのかと。私の考えていることが合っているかどうかはともかく、変化や理由を気にしない、そのスタンスを持ち続けている限り、

 

 

………この会社に、未来は無いのではないのかと、そう考えるようになりました。

 

 

そういうことを考えながら、2018年の仕事を納めました。まあ最終日はトップに仕事を押し付けられてやる事も何も出来ずキレてベソかいてましたが。

 

 

 

酷い極論だと思います。病んでいるとか、考え過ぎだとか、そういうことを言われてもしょうがないと思います。でも今回の一件で、私はカンボジアにもうちの会社にも思うことが沢山出来てしまった。

 

会社が嫌だから今すぐ辞めたい、という訳じゃないです。でも、これで私は会社に献身は出来なくなってしまった。分かりやすく言うと、何十年もこの会社に勤めているイメージが、よりつきにくくなってしまった。だから会社で働くというよりは、やりたい仕事をやる、やれなければ辞める、というようにシフトしている感じです。

 

 

 

なので、3月の人事発表が今から怖い。

私が嘘がつけなくて顔にでる以上、また、会社や勧める商品のことが本当に好きになれない以上、営業職は本当にやりたくない。向いていないと思うし。本当はあと1年ぐらい旅行業のキャリアを積みたいけど、営業職になった時点で辞めます。そのぐらいの気持ちが形成されました。

 

仙台の今の部署にいることが一番だけど、東京に飛ばされることも普通にあるしなあと思ってですね………………東京ならちょっと頑張ろうかと思います。気軽に帰省出来なくなるのはマジでしんどいですが。犬に会いたい。

 

 

 

 

という事で。ゴールから指折り数えて。

旅行も気を取り直して楽しいところに行きたいな、と思っております。

2018年はアジアの都市ということでアジアに行きまくったけど、2019年は色んな所に行こうかなと思ってます。資金のやりくりが大変ですが。

 

久しぶりにヨーロッパに行きたい、青い海を見たいということで、リベンジ!ギリシャだったり、GWメキシコを考えています。国内も金沢とか福岡とか札幌とかね。四国行きたいけどどのタイミングで行けば良いのか。

 

早くマレーシアやカンボジアの記憶を消したい(笑)と思う日々でもあるけど、まずは3月の時点でどうするか色々考えていきます。

 

 

 

 

 

 

そしてまた会いましょう。

ウズベキスタンに行ってきました

ウズベキスタン?どこにあるの?

 

 

てかアフガニスタンと似てない?危なくない?

 

 

ウズベキスタンとか笑 またくだわらさんは〜〜

 

 

 

 

 

みたいな声に負けず、行ってきました、ウズベキスタン。いやまだ出国してないからアレなんだけも。

 

 

 

1年前から行きたかったんです。ロシアに行って、会社でウズベキスタンの写真を見て。

極めつけはついったーで、ウズベキスタンの美しい写真を流すだけ流すアカウントを発見して。そのアカウントは最初のツイートまで遡りました。

 

 

で、行ってきた訳なんですよ。

 

 

感想としてはですね、なんだろうね、評価を付けるのが非常に難しい国なんだ。

最高!って一言で言うのは簡単なんだけど、そうじゃない。

 

街がウズベキスタンを体現する姿に、人々の生活する姿に、私は沢山のことを考えて、学んで、どんな国なんだろう、どういう暮らしをしているんだろう、沢山刺激を貰った。ベクトルは違うけど、2年前に行ったインドに匹敵するくらい。

 

 

 

離陸する飛行機から見えた街がね、高い建物がなくて、基本は茶色なんだけど、屋根がカラフルで、その瞬間何故か鳥肌が立ったのね。中央アジアに始めて降り立つという恐怖かもしれない。でもあの瞬間たしかに私はウズベキスタンの一歩を踏み出したんだと思った。

 

 

街並みとしては、首都タシケントは非常に近代的。地下鉄も走ってるし、駅にたくさん警察いるし(荷物チェックもされる。その度に敬礼されてドキドキした)、スーツ姿の男性多いし、地下鉄の扉はソ連圏特有なのか、一切の遠慮なく猛スピードで閉まるし。

 

正直茶色い、煤けた街並みなんだと思ってた。

砂漠、まで行かないけど、英語も通じなくて、閉鎖的で、苦しい旅になると思ってた。

 

 

 

 

そんなことなかった。

 

 

 

 

街中には噴水が多い。緑が多い。ベンチも多い。というかモスクにも大量のベンチがある。座って、お祈りして、のんびりして、すごいゆとりを感じたの。歩き疲れたらすぐ休めるってのも良かったし、水を見て癒されることが多かった。

 

 

それに、何度も何度もヤポーニカ?(日本人?)って聞かれるし、一緒に写真写ってって頼まれるし、5才くらいの子でも、私にハローって話しかけてくれるし。英語話せる人は大体いないから、ジェスチャーとかで会話して。でもね、しつこくない。モスクの中にもおみやげ屋があって(!)、客引きもするけど、でもNOっていうとすぐ引く。

 

っていうかモスクの中におみやげ屋作るなよって感じなんだけど(神聖って意識は薄いのかな?)、そういう厚かましいところもあって、私は嫌いじゃない。

 

 

インドほどしつこくなく、ドバイほどイスラムは強くなく、ロシアと似てはいるけど、冷たいというよりは現地の人情感(個性ともいう)が強い。

 

 

あとね、今回ガイドもつけたおかげもあって、色々なこと聞いたんだ。塔ができた謂れ、帰ってきたら妻が死んでた王、サマルカンドっていう名前がついた星、遺言の通り墓が建てられなかった王とか、世界史をやった人でさえあっという間に通り過ぎていくところを、人が生きていた実感が生まれてくるような説明を受けて。私はこの国が生きているな、って感じたんだ。

 

 

9月下旬、8月の40度を超えるような猛暑を乗り越えた、ベストシーズンに訪れたってのも良かった。足を中心とした日焼けはエグかったし(アネッサは効かなかったよ………)、日の当たるところの日差しはほんと暑かったけど、日陰に入ると別世界かって思うぐらい涼しくて、ついつい足を止めて考えこんじゃったり、10時前、まだ朝早い時間に外を歩くと、風が、空気が気持ちよくてこのままいくらでも歩けそうな気がした。

 

 

レギスタン広場で、ドレスを着た新婦、タキシード着た新郎が、青空に負けない蒼いモスクをバックに写真を撮ってもらうのを横目に、ガイドとたわいないことを話しながら、目を細めて風を感じたのを忘れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

旅行会社2年目、この時期に行けてよかった。職業柄知識も増えて、情報もあって(とはいえまだまだ未知の国であるから情報戦ボロボロだったけど)、私は幸運なことに大体その国に行くべき時期に行けてると感じる。なんかこれよろしくなかったな、って言うのは、ベトナムと、ドバイかな笑

 

 

 

 

 

 

 

 

私は自分の前世がキリスト教だったんじゃないか、って思ってるんだけど、だからヨーロッパには懐かしさを感じて、教会には何分でも何時間でもいられるんだけど、それとはまた違う情熱でロシアはここだったら、住んでもいいかなって思えるところだった。

 

そして今回のウズベキスタンについては、私が留学して人々の暮らしを学ぶなら、この国がいいと思った。私はこの国から沢山のことを学んだ。絹の道シルクロード、古くから交通の要所として呼ばれる、その繁栄の軌跡が見えた気がした。もし私が別人になって、生まれ変わるならこの国がいいかもしれない。

 

 

 

 

 

 

とはいえ、万人にオススメする国ではありません笑 私は旧ソ連圏の、物事に意味があり、それを大事にしているところ、それが人の感情と絡み合いながら歴史に組み込まれているところが好きなだけであって、スタン系の国って何か怖い!無理!って人は無理しない方がいいと思います。ちなみに〜スタンっていうのは、〜(人)の国、って意味だからね。別に怖くないですよ。まあアフガニスタンの例があるからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一言で言うとね、ウズベキスタンに、癒されました。

青と緑と蒼と風、これに何も価値はつけられないし、感じるしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

慌しい滞在であって、どうしても行きたかった都市を1つ諦めてきた。滞在時間54時間。私はまたこの国の土地をいつ踏むんだろうか。本当に、検討が全くつかない。もしかしたら、おばあちゃんになってヨボヨボになってからかもしれない。

 

それでもまた私は、心地良い風が吹き、青空とそれに負けない、依然と変わらない青で迎えてくれるウズベキスタンに戻ってきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上です。

 

次は、クリスマスにマレーシア&カンボジア。クリスマスに仏教とか喧嘩売ってる感じでちょっと面白い。この間フライトスケジュールが勝手に変更されてたんだけど、何とかなるかなあ。3月にスリランカも控えてて、今一番お金がないです。うんうん、頑張ろう。

色々ある

27になったわけなんだけど、生活レベルが上がるわけでもなく、ライフステージが変化するわけでもなく、そういう中を刮目して歩くのが嫌だから、人生が止まることが楽しい。と開き直るようになった。と思ったら開き直れていなかった、そんな夜。

 

 

 

 

 

 

夏は私を置いていかないでほしい。

 

同期は月曜から楽しそうでいけない。

 

自分自身のことで誰にも言えないし言ってないことがある。

 

パーマをかけようと思ってやめた。仲が良かった美容師はいなくなってしまった。

 

一人旅を7年やってきた。次と次と、その次で旅行は終わり。終わりたくない。でもどうしても行きたいところが見つからない。着地点が埋まってる。

 

試験がある。3度目の正直。受かりたいし終わりたくない。

 

楽しかった映画がある。また観たい。でも見に行けない。

 

結婚している友達。子供がいる友達。いない親戚。私。それ以外の人。

 

台風のせいで仕事がパァになりそう。怖い。私は矢面に立たないくせに何言ってるんだ。

 

前職のことを聞かれる。慣れてる。慣れてるけど吐きそう。

 

犬が楽しい。若い犬は変わらない。家族は変わる。変わらないでほしい。

 

友達に電話したい。寝たい。寝られない。電話できない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この間、実家のお祭り時、私も外出しようと思ったら犬が全身で寂しいって、叫んでた。星空を見ながら30分撫でて、こんなんじゃ足りないぞと言うような身悶える犬の姿にこみ上げたものがある。私はそういう人間だった。手が疲れても、犬の体温で熱くなっても、お祭りはいかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生止まれ、と本気で思う。