苦しい人間にはなりたくない

個人情報は晒しませんが、世間体は気にしません。

比較文化は眠らない

ロシア満喫中です。


肉体的には1.5万歩しか歩いてないのにしんどさを感じてホテルから出たくないので、どっちかっていうと精神的に満喫している。


これはTwitterでも言いたいことだけど、ロシアの評価がわたしの中で大きく変わってきている。まだ、2日目だけど。


街中はね、一括りに言えばヨーロッパなんだけど、華美には感じられず、少しだけ寂しさのようなものが感じられる。あとはモスクワもそうだと思うけど、ビルやタワーのような高い建物が見当たらない。だから最先端という感じはあまりしなくて、2017年なのに少し前の世紀にいるような感じさえしてくる。


昨日はオプショナルツアーでエカチェリーナ2世の宮殿とピョートル大帝の夏の宮殿を見に行った。わたし世界史の中でエカチェリーナが一番好きなんですよ。彼女自身の活躍はもちろん、ヘタリアで彼女を取り扱った漫画を見たのも切っ掛けの1つだったのかもしれない。


ガイド付きで色々聞きながら観光して、まあそれが疲れの原因かもしれないんだけど、非常に良かった。


男性の部屋は赤(戦や血を連想するから)、女性の部屋は緑、男性の遊戯はチェス、女性はトランプ、プロイセンと交流があった証の双頭の鷲、緑や水色などのパステルカラーの外観、石の下にスイッチが隠されていて、踏むと水が出てくる、300年前からある噴水。


まだまだあるけど、なんて言うかね、きれい!すごい!だけでなく、当時の人の考え方や生活、見方にかなり近づけた時間だったと思う。建物見てても、ヨーロッパやトルコなどともまた少し異なっていて、そこにはロシアなりの工夫や意図や、文化や歴史が組み込まれているんだと分かって、バルト海を眺めながら、この国のこと好きになれそうだと思った。


そしてさ、ガイドと別れて1人でぷらぷら観光してる時に思ったのは、こうして自分が見たり聞いたり経験したすべてのものから色々考えて、自分なりの答えを得ていく、これが正しく比較文化なんだろうなあって思った。


ある一つを知って、それが真実だと盲目的になるのは言葉も要らないくらい容易だ。でも、複数を知り、違いを知り、自分の中で答えが出る。答えは思いであり、考えであり、言葉であり、もし、人の出した答えが明らかに間違っている時にはそれを追求する武器になる。もちろん知識でもあり、個体でもあり、歴史でもあり、赦しになる。


うまく言えないけど、あの大学で、この学科で学べて良かったなと思う。人生の全てに影響する遺産を残してくれたことは、喋るのも表すのも得意じゃないけど考えることが好きなわたしには、一筋の光のように思えた。


寒い空の下、荒涼とした土地に、唇を一文字に引き締めて、人々は帽子を目深に被り、早足で歩く。わたしの中のロシアのイメージを、いい意味で変えてくれた1日目なのでした。チップ含め6万かけて参加した甲斐がありました。高いわ。






でもこれだから旅ってやめられないんだよなあ。