苦しい人間にはなりたくない

個人情報は晒しませんが、世間体は気にしません。

もう私は誰かに教わることがないだろうと直感して

わたしこう見えてクソメンタリストもとい悲劇の姫気質だから、さっきクラリネット教室の体験で、アンブシュア(口の構え方)を何度訂正されても直らなかった時に、あるべき形がさっぱり浮かばなくて泣きそうになんかなってない。そんな自分に悲しくなって、四捨五入したら30なのに泣いてなんかない。


前の職を頻繁に引きずってると、元カレかよって鼻で笑われそうなんですが、人の教え方をかなり厳しく見るようになった。教え方、伝え方、そんなのはクラリネット教室じゃなくても日常生活、特に仕事においていくらでもあるもんで、そんな自分は嫌いになれないけど損しているなって思う。


教わってそれでも上達しなかった、って怖くないですか。限界が見えなくて、でも見えちゃうんだよ。アンブシュアを直せばもっともっと上達するよ、って先生の言葉が怖かった。子供の頃はそれを信じて何も考えずにひたすら取り組んでた。


大人になるって嫌だね。人間としての自分の底を、本人の意思とは無関係に叩きつけられている気がする。


他人に指導する一方で、自分で能動的に、積極的に勉強しなくなったのは、できなくなったのはいつだろうか。中学生から目を背けるように生きる癖はいつ直るのだろうか。こうやって関わったものが、大切だったものが、少しずつ離れていって、離していって、平気になるのはいつだろうか。


こうやって今日も私はクラリネットの思い出に傷を付けた。私は今後もクラリネットを習うことはないだろう。

多分。多分ね。